磯田和秀

棚田の一番上、と言ってももう田んぼとしては使っていないところは、水も引いておらず、低い畝があってそこに大豆を撒いたりしている。ただ、ところどころやたらに水がしみてくる。足が沈み込んで歩きにくいし、草も刈りにくい。
それならいっそ、池を掘ってそこに水を誘導するようにした方がいいのではないか、ということで、今年の2月末頃、鍬をふるって池を掘った。掘っただけでこれだけ水が貯まる。ただ、晴れが続くと干上がってしまうので、沢から少しだけ水が引けるようにしておいた。
掘ったのが冬であるし、当初は草も生えず、寒々とした感じだった。しかし気温が上がると草も生えてくる。カエルが憩っている。マツモムシも泳ぐようになった。泥も落ち着いて、池は澄んだ水をたたえるようになった。

夏を越え、秋を迎えると、水辺の草に交じって稲まで生えてきた。少し赤みのある白い花はミゾソバ。水のあるところ、湿ったところで、這うようにして茎をのばし、地面も水面も覆いつくしてしまうので、厄介な「雑草」には違いないのだが、私は好きだ。ミゾソバはここだけでなく沢や田んぼの周辺に繁盛しているし、どれだけ熱心に引き抜いてもまた生えてくる。愛しい。腹立たしい。

その池と沢を挟んで反対側の田んぼ(元)にも、湿っぽい場所があった。夏が過ぎたころ、こちらにも池を、長細いかたちに掘ってみた。最初は水があまり溜まらなかったが、日がたつにつれてかさが増えてきた。この池のすぐ上には枝垂桜があって、落ち葉が水中にたまることになる。積もった落ち葉にさえぎられて草が生えないようになるのか、それとも別のかたちで草が侵入してくるのか。落ち葉はサワガニやカエルやアカハライモリのいい隠れ家になるだろう。近いところに人工的に作った二つの池だが、それぞれがそれぞれの都合でそれらしい姿になっていくのだと思うと楽しみだ。
これらの池は「自然に」できたものではない。実を言うとこの棚田のある斜面自体、人工のものだ。沢の上に土を盛り、棚状に作り上げたものであって、棚田の元の持ち主である森下さんは「沢の上に乗っかっているようなもの」と語っていたそうだ。盛土ごと崩壊する可能性だってなくはない。
そうして人の手で出来上がったものも月日を経るごとに「自然」になっていく。崩壊することも含んだ「自然」である。あちらに穴が開けばふさぎ、こちらに水がたまれば穴を掘り、どうにもならないときは、できることをする。人為と自然(じねん)の反復運動。