[告知]八月の出合

毎月第2金曜日と第4土曜日に出合(共同作業)の日を設けています。詳しくはこちら

8月の出合は、28日(土)のみ。
※第2金曜の13日は棍棒合宿との兼ね合いで開催取り止め。
(なお、これ以外の日も随時お手伝いを募集しております。)

予想される作業内容は、
●草刈り
●草集め
●棍棒製造
いずれも10時から17時頃まで行います。

途中参加、途中退出可。
小雨決行、雨天中止。

昼ごはんを持参してください。その他、帽子や長靴、作業着、軍手、カッパをお持ちください。

車での来訪可(住所はお申込時に伝えます)。
電車の場合は、近鉄榛原駅に9時半に来ていただければ迎えにいきます。

参加ご希望の方は、当サイトのcontactページから、またはつち式や東千茅のツイッターのDMなどでご連絡ください。

[告知]五月の出合

つち式は、毎月第2金曜日と第4土曜日に共同作業(出合)の日を設けることにしました。詳しくはこちら

5月の出合は、14日(金)と22日(土)。
※14日は開催済
(なお、これ以外の日も随時お手伝いを募集しております。)

予想される作業内容は、
●草刈り
●夏野菜の播種
●腐葉土狩り
●畦塗り
いずれも10時から17時頃まで行います。

途中参加、途中退出可。
小雨決行、雨天中止。

昼ごはんを持参してください。その他、帽子や長靴、作業着、軍手、カッパをお持ちください。

車での来訪可(住所はお申込時に伝えます)。
電車の場合は、近鉄榛原駅に9時半に来ていただければ迎えにいきます。

参加ご希望の方は、当サイトのcontactページから、または東千茅のツイッターのDMなどでご連絡ください。

2021年、年明けてからの活動いろいろ

磯田和秀

前回まで3回にわたって籾摺り臼の制作の過程をくどいほど書いて疲れたのか、その後すっかり記事を書かなくなった。

しかし、里山制作の活動は進行していた(臼はまだできていない)。

そのいくつかを簡単に。

2月、畑で採れた大豆を使って、味噌づくりをした。川上村で「暮らす宿HANARE」を営むYさんにご指導いただき、10人ほど集まって大豆をつぶして麹と混ぜ、各自壺やタッパーウェアなどの入れ物に入れた。ゆでた大豆は柔らかいのにつぶすのは意外と難しく、するりと手のあいだを抜けてしまう。経験者の話では、ミンチを作る機械が一番うまくいくそうだ。

同じく2月、間伐が間に合っていなかったヒノキ林に、いよいよ手を付け始めた。

伐採は危険な作業なので、慎重に。

切り倒した後、枝をはらい、5メートルほどの長さで玉切りをして、集める。

集めた材は、虫がつかないように早めに皮を剥いてしまう。

この時期につち式を訪ねてきた人は、ヒノキの皮むきをすることになる。この日は、大阪から来た若者が。みんな喜んでやってくれてます。たぶん。

伐採作業は4月に入っても続いた。木を伐るというのはなかなか気持ちを高ぶらせてくれるもので、東はツイッターにこんなことも書いている。

「最近は木を伐ることに取り憑かれており、日が暮れてからも読書はおろかNetflixも観ず、チェーンソー本を読んでいるかYouTubeで伐採やチェーンソー関連の動画を見ている。実は一件4月末までの依頼原稿があるのだが、当然一文字も書いていない。」

これは本当で、最近は私と会っても伐採とチェーンソーの話しかしないし、それ以外の話題を向けてもほとんど反応がない。ジャンキーである。

2月には他にこんなこともしていた。

棚田の上のほうに、物置を設置した。知人が小屋をこぼって不要になった木材を主に使い、屋根には以前入手していたヒノキの皮を使った。

道も補修した。雨が降ると土が流れてしまっていたところに、伐採したヒノキを並べた。

まだある。

もと田んぼだったのが今は広場になっているところがあるが、どこからか水が湧いているらしく、一隅に小さな池がある。その周辺はぬかるみがひどいので、木材を並べて道にしていた。しかしそれも腐ってきていて道の役目を果たせなくなってきたので、今回伐採したヒノキを使って道を作り直した。

前のものよりだいぶ頑丈にできた。

そのあいだも東の伐採中毒はおさまることはなく、先日noteにこんな記事を上げていた。

『つち式』を買おう

「わたしはこれまで、農耕の悦びこそ人間に生まれ堕ちた者の役得だと思っていた。が、伐木も農耕に劣らぬくらい——いや、いまのわたしの気分からすればそれ以上に、人間に喜悦をもたらす行為だと言いたい。いかにも、もはやわたしは伐木中毒なのであり、木を伐っていない人生など人生と呼べるかと、このラリった頭で考えている。」

https://note.com/chgyazm/n/n284066f1f4a4

こんなになってしまっていたが、4月も1週目を過ぎると田んぼに関するあれこれを始めた。本人はそのつもりはないかもしれないが、傍で見てると「正気に返った」ようにも見えて可笑しい。いやそれは正気なのだろうか。狂っているのは俺かそれとも世界か。

それはさておき、里山にかかわっているとこんなに楽しくていいんだろうかと思うくらい楽しい。ご関心のある方は先日の記事にあるように、毎月第2金曜日と第4土曜日に共同作業(出合)の機会を設けていますのでどうぞ。

[告知]四月の出合

つち式は、毎月第2金曜日と第4土曜日に共同作業(出合)の日を設けることにしました。詳しくはこちら

4月の出合は、9日(金)と24日(土)。

(なお、これ以外の日も随時お手伝いを募集しております。)

予想される作業内容は、

  • タケノコ掘り
  • 腐葉土狩り
  • ヒノキの皮剥き

いずれも10時から17時頃まで行います。

途中参加、途中退出可。

小雨決行、雨天中止。

昼ごはんを持参してください。その他、帽子や長靴、作業着、軍手、カッパをお持ちください。

車での来訪可(住所はお申込時に伝えます)。

電車の場合は、近鉄榛原駅に9時半に来ていただければ迎えにいきます。

参加ご希望の方は、当サイトのcontactページから、または東千茅のツイッターのDMなどでご連絡ください。

出合をはじめる

東千茅

わたしの住む地区では、全戸総出で草刈りなどの作業を共同で行う「出合(であい)」がある。それにならって、つち式でも月に二回の出合の日を定めることにした。

出合日には、できるかぎりメンバー全員が集まり、さらには参加者も受け入れて、季節ごとの何らかの作業を行いたい。べつにわざわざ作業日を決めなくても、普段からメンバーは各自の作業を進めたり一緒に作業をしたりしているし、メンバーでなくても来てくれた人には手伝ってもらっている。けれども、このままではいまいち団体感が出てこない。もちろん、あえて一体感みたいなものを演出したいわけでは全然ないのだが、こうやって団体としてわかりやすい実績を積み上げていくことは、おそらく今後のいろいろなことのために大事なのではないかと思う。

くわえて、出合が毎月この日にあって誰々が来てくれそうだとなれば、それに応じて作業工程も組みやすい。参加したい人にとっても、公開されている作業日があるほうが参加しやすいのではないだろうか。

ともかく、個人ではなく団体として動いたり参加者を募ったりするのは、現状、田んぼや畠や森や沢など異なる時空を包含する広い里山を相手にするにあたって人手が不足しすぎているからだ。そして里山は、今生きている人間を超えて存在しつづける。つまりは、共に里山の胃袋に呑まれる人間を募集しようということだ。餌になりたいやつは出合え。

ということで、当面は毎月第2金曜と第4土曜に出合日を定める。

4月は、9日(金)と24日(土)である。作業内容は、タケノコ掘り、ヒノキの丸太の集材や皮剥きなどではないかと思う。詳しい告知は追って。

籾摺り(3)

磯田 和秀

籾摺り臼制作二日目、ようやく完成したかと思ったら、米が粉々に砕けた。そのくだりは前回書いた。上臼が重すぎるからだろうということで、削って軽量化することにした。三日目に突入する。作るのも疲れてきたが記事を書くのも疲れてきた。

この記事は試行錯誤の過程を記しているので、手っ取り早く作り方を知りたい人は、ただちにここを離れて別のサイトに行かれることをお勧めする。例えば、「自然風サバイバルエコライフ」のこの記事へ。

さて、上臼のどこを削るか。

三人で相談の結果、上臼を横から見て中央の部分を削り、くびれた形にすることにした。円筒形も美しいのだが仕方がない。上臼の上部を切断して短くするというアイデアもちらりと頭をよぎったが、トリマーでまた削るのが面倒だったのか、誰もそれを主張しなかった。今になって思えばそのほうが楽だったかもしれない(ネタバレ)。

どこまで軽量化できるか確信のないまま、作業に入った。まず、上臼の中央にぐるりとチェーンソーで切れ込みを入れる。ここまで削っていいというしるしである。

(今にして思えばこのまま切り落としてしまっても良かったかもしれない。)

その切れ込みに向かって左右からノミで削る。

削ると書けば一言だが、樫は堅くてなかなか時間がかかる。樫の堅さにもてあそばれ続ける日々だ。ただ、この堅さを削ることには妙な快感があって、それ自体は楽しい。問題はいつまでやればいいのか、出口が見えないことだ。

東と私とで交代しながらカンカン、カンカンやっているうちに大工のカズマさんがやってきた。さすが手つきが違う。気持ちいいリズムでみるみる削っていく。

危惧していたことではあるが、こうやって削ってもそれほど軽量化は進まない。ときどき秤で計量して、うーんと唸りながら作業を続ける。たしか削る前は20キロ近くあったと思う。

この日も寒い。うっすらと積もるほど、雪が降ってきた。

土間に入ってさらに削り続ける。

削りながらYoutubeで陰謀論の動画を見ていた。「私はこうだと思いますが、信じてくれとは言いません」と若いYoutuberが言ってた。こういう言い方って昔からよくあったよね。一番信用してはならないタイプなんだけど信じちゃうやつ。あと、こういう人たちってなぜか声が高くて早口。

15キロをやや下回るほどまで削れた。

これならなんとかいけるんではないか。

と思って試したが、籾はやはり粉々になった。

そんなことを何回か繰り返したのち、上臼と下臼のスペーサーとしてワッシャーを入れてみたりもした。しかし、それでもうまくいかない。

三回にわたって書きながら、完成しなかった。

後日、訪問すると東とカズマさんとで籾摺り臼をさらに削っていた。最初を思えばずいぶん砕ける籾が少なくなりはしたが、それでも籾摺りをするとなるとためらうくらいの量ではある。

「上を切るしかないですねー」

そういう東の横顔に(もうめんどくさい)というメッセージが浮かんでいるように見えたのが気になる。

籾摺り(2)

磯田和秀

上臼と下臼の形はできた。あとは、上下が摺り合わさる面に、溝を彫れば完成する。

そう思って二日目に入った。

彫刻刀で溝を彫っていく。くどいが樫は堅い。小学校で使うような彫刻刀で彫れるのだろうか、刃がちゃんと入るのだろうかと、やる前は半信半疑だった。実際にやってみると、きれいに彫れる。杉やヒノキのような軟らかい木だと繊維がつぶれたり、木目に沿って裂けたりすることがあるが、樫は思ったように彫っていける。堅いものが砕けていくのが手に伝わってくる。この感触はむしろ快感だ。

同時に、気持ちいいのはいつまで続くだろうかとも思った。最初のうちは楽しくやっていられるが、堅いのには違いない。力を込めている手指の箇所を中心に、疲労が蓄積していき、痛みを感じるようになる。

前日のように、クレーンで吊ったり、長大なチェーンソーで切ったり、ヨキではつったりといった派手な作業ではない。午前中からひたすら、ゴリゴリ、ゴリゴリと、彫っていく。

退屈にもなってきたので、Netflixの『卑語の歴史』を観ながらやった。卑語とは英語でswear wordと言われる、f*ck、sh*t、b*tch、d*ckなどのことで、それを真面目に学問的に追究する番組だ。その回はf*ckの歴史をやっていた。f*ckという言葉は、「民衆が性交することは違法であり、王様が許可して初めて可能になった(Fornication Under Concent of the King)ことに由来する」という話がよく広まっているが、それは完全な作り話だときちんと解説されていた。にもかかわらずその話しか覚えていないことを思うと、デマや陰謀論というのは本当に広がりやすいものだと実感する。

午後はカズマさんの家に移動した。

このあたりから雪が本格的に降り始めた。

外は寒いが中は薪ストーブのおかげで暖かい。

こんなかわいい子もいるし、天国か。

3人で交代しながら彫り続ける。ただ線に沿って彫るだけの作業がこんなにかかるとは思っていなかった。彫刻刀の先も鈍ってきたのでときどき研ぎもした。

音楽を聴きながらやっているうち、ふと東が、友人が支配人を務めるホテルThe Boly Osakaのロゴデザインなどを手掛けたデザイン会社Allrightの話をはじめた。社員の一人東郷清丸はミュージシャンでもあり、会社は彼のために音楽レーベルAllright Musicを新たに立ち上げたという。さっそく東郷清丸の曲をBGMとする。音楽も作るし活版印刷もする。東郷さんもおもしろいし、そういう社員がいるからと音楽部門を作ってしまう会社もおもしろい。

ところで、コクヨ野外学習センターというポッドキャストがある。文房具などで親しみ深いあのコクヨである。そのエピソードの中に「働くことの人類学」というシリーズがある。その第2話では、アフリカ南部のカラハリ砂漠で「ブッシュマン」と呼ばれる人びとの調査をしている丸山淳子さんが登場して、ブッシュマンにとって働くこととはどういうものか、彼らの実際の生活に即して紹介してくれた。

丸山さんによると、ブッシュマンはその時の状況によって、さまざまな仕事をする。今お金がいるかどうかにもよるし、気分にもよるらしい。そして、丸山さんのように常勤で働いている人のことを「ひとつのことしかしないやつ」と(ややあきれたように。たぶん)言うそうだ。この話から思うのは、どちらがよいというわけではなく、どっちもありだね、ということだ。そういえばカズマさんは本職は大工だが、それ以外のこともいろいろやっている。東も自給農耕民だが、それ以外のこともいろいろやる。私もいろいろ。

意地悪な見方をすれば、ブッシュマンはいろいろやらざるを得なくなっただけではないかということもできるかもしれない。彼らはかつては遊動する狩猟採集民だった。しかし近年、政府の指導の下に定住化が進み、以前のような暮らしができなくなった。当然、日雇いなど、いろんな仕事をしないとやっていけないだろう、と。

しかし、いろんな仕事をする、というのはブッシュマンの伝統でもある。狩猟、採集、移動生活というのは、それぞれがいろんなことをしなくてはならない生活スタイルだ。家のことは妻に任せてひたすら狩りに専念する、というような、われわれの世界の会社員みたいな生活ではない。定住化による暮らしの変化に対して、ブッシュマンは「いろんなことをする」スタイルで応じたのだろう。そうせざるを得ない状況に追い込まれたには違いないにしても。

余談が長くなってしまった。

気が付けば5時をまわって外はすっかり暗くなったころ、ようやくすべての線が彫り終わった。試しに籾を摺ってみる。臼を重ねてグルグル回してみるとなにもかもがうまくいくような気がした。しかし、入れた籾は粉々に砕けていた。うーんと3人でうなりながら、どうしたらいいか相談し、上臼が重すぎるのは間違いないので、削って軽量化しようということになった。この日はもうやってられないので、みんなで仲良く鍋を囲んであったまって終わった。

籾摺り(1)

磯田和秀

稲から米にするためには、籾摺りをしなくてはならない。

脱穀して穂から籾を外し、さらに籾殻を取り除いて(脱稃/脱ぷという)玄米にする。籾殻を取り除くこの作業を、籾摺りという。

自前の稲作において、籾摺りだけは、電気の力にたよらなければ、ほとんど手に負えない。農家は専用の機械を使う。たぶん10数万円くらいするし、大きいから置き場所にも困る。私たちは持っていないので、借りて使わせてもらうことになる。

「機械は使わない」などと決めているわけではない(使えるものはむしろ積極的に使う)が、できれば籾摺りも自力でやりたいという気持ちはあった。籾摺りは、機械が使われる以前には、木の挽き臼でおこなわれていたようだ(※)。石臼はよく見かけるが、この籾摺りは売っているのを見たことがない。作るしかない。目指しているのはこの記事の一番上の画像のようなものだ。

実際に作った人がテキストを販売していたので、年明け早々、それをもとに作ることになった。七面倒くさいことはいいから作り方を教えろという人は、こちらを見ていただきたい。自然風というサイトをしておられる方が試行錯誤の上で作った籾摺りの制作マニュアルである。1部1000円。

大工をやっているカズマさんが、樫の木を持っているという。樫は堅いと評判なので、この用途には最適だろう。

ただ、こういう作業から始めることになるとはあんまり思っていなかった。

クレーンで吊らないと、移動もできない。

この樫は、去年の夏ごろ伐られたものをもらって置いておいたそうだ。時期があまりよくなかったので、割れ目や皮のほうからカビなのだろうか、少し変色していた。家具にするわけでもないので見た目はどうでもいいとしても、強度は大丈夫だろうか。また、乾燥も十分とは言えないので、できてから割れる可能性もある。みんな、心に不安を抱えながら、後には引けない制作作業に取り掛かる。

まず、輪切りにする。

材が太いので、めったに使わないという長いバーの付いたチェーンソーを持ち出してきた。なんとMade In West Germanyと書いてある。西ドイツ製ということは30年以上前のものだ。しかしエンジンはすぐにかかり、勇ましい音を立てて太くて堅い樫を切っていく。

樫は堅い、と知識としては知っていたが、実際に触ってみると「堅いとはこういうことか」と感心する。ホームセンターで見るSPFや杉、ヒノキなどとは、手触りからして明らかに違う。持ち上げたわけでもないのに重さまで手に伝わってくるようだ。

切ったそのままでは大きすぎるので、中心を少し外したところで直径30センチの円を描き、それに沿ってまずはヨキで大雑把にはつる。堅いので、ヨキを当ててその上からかけやで叩く。堅いのでヨキがはじかれる。この後もしつこいくらい「堅い」と書くのでうざいとは思うのだが、この日を含めて三日間、ひたすらその堅さと向き合うことになったので、書かずにはいられない。ご容赦願いたい。

こうやって叩くが、最初はヨキがはじかれる。堅くて材に刃が食い込んでいかない。懸命にかけやを打ち下ろして何とかはつっていった。下の臼はそうやって形を整えていった。

しかしカズマさんは普段から薪割りに慣れているせいか、かけやは使わずにヨキを正確に同じ場所に叩き込んでこの状態にしてしまった。さすがだ。

さて、扱いやすくなったところで、チェーンソーを使って丸く形を整えていく。

上臼、下臼ともに同じようにして丸くし、重ねてみた。

今、この画像を見ながら、このときもう少し慎重だったら…と思わないでもない。しかし、10時から始めてここまでできあがったときには、午後2時を過ぎていた。日の当たらない屋外の作業で、火を焚きながらとはいえ寒さに耐えながらだったので、これを見たときは、堅くて重い樫がやっと人間の手に負える存在になったとホッとするしかなかった。なぜ、この画像を見て悔やむことがあるのか、そのわけは次回。

ところでこのときはつった木片は薪として燃やしもするが、なにしろ堅いのでくさびのいい材料にもなる。手に持つとみっちりと詰まった感じと堅さと重さが心地よい。持ってるだけでうっとりする。

また、「矢」というものも作った。伐採するとき、追い口に差し込み打ち込んで、木を倒すのを容易にするための道具である。関西人なので「やー」と発音する(「蚊」を「かー」、「歯」を「はー」と言うが如し)。

臼の本体がおおよそできたところで、上下をつなぐ棒を中央に設置し、実を入れるための穴をあけ、さらに最上部をトリマーで削っていく。文章では伝わりにくいので画像で。

どこからどう見ても臼である。この日はここまで。

※機械化される以前の籾摺りの方法には、我々が作っている臼以外のタイプの臼でやる方法の他にもいくつかあるらしい。後日、気が向いたらそのあたりを探った記事を書くかもしれない。

磯田和秀

「蚋」と書いてブユと読む。吸血する昆虫である。

しかし関西ではブト、関東ではブヨと読む。関東が「標準」でないことに意外さを感じるが、グーグルで検索をすると、語句の組み合わせによっては勝手にブヨと読みかえられる。なんだか悔しいので以下では「ブト」と呼ぶことにする。でもそうすると、ブユという言葉はどこから来たんだろうか。

しかし蚋をなんと読むか知ったところでそれがなんなのか、はっきりと知っている人はどれくらいいるのだろう。実は私も、以前、奈良県の一部地域で左義長の際、燃えるとんどに「アブの口、ブトの口」と言いながら餅をちぎって投げ込む風習があると聞いたとき、「ブトとはなんだろう…?」と思ったが、どうせアブの仲間なんだろうと深くも考えなかった。

ブトはハエ目カ亜目ブユ科の総称である。アブもハエ目なので仲間といえば仲間だが、かなり遠い。そして、アブはよく見たことがあるが、ブトは「見たことがない」。どういうことかというと、ブトは、田んぼにいるときに、腕やふくらはぎなど露出した肌に噛みつのだが、嚙まれた方にしてみれば、黒い点のようなものが周囲を飛び回っていてなんだかうっとおしいなと思っているうちに、あちこちがかゆくなって仕方がなくなるだけなのだ。このかゆさの原因は、飛び回る黒い点なのだろうと腕を振り回してみても、蚊のように叩き潰せたことは一度もない。かゆいと思っているとやがて腫れてくる。かきむしって血が出てさらに腫れてくる。足がぼこぼこになる。

東千茅が、ブトに噛まれるという経験を『つち式二〇一七』に書いている。

今年も田んぼ仕事で黒くなった。黒くなったと同時に、額と腕と脚は、ブトに噛まれてつねにぼこぼこだ。それに痒い。ブトは、幼虫のあいだ水質汚染に弱く、彼らがいることは水がきれいな証拠らしいが、こうも多いと苛立つことがある。(中略)ブトが寄ってくるのは、きまって日差しのよわい早朝と夕方、あるいは曇りの日である。つまり、真昼であれば地肌をむき出しにしていても噛まれない。だから田んぼの仕事は、暑さを我慢しながらするか、痒みに我慢しながらするかのどちらかだ。

(45頁)

水がきれいなのは嬉しいがブトにも優しい環境である。夏の朝夕曇り空はこちらの体には優しいが、ブトにも素敵な時間を与えてくれる。あちらを立てればこちらが立たず、だ。

以下はジョンソンの「害虫図鑑」(http://skinguard.jp/bug.html)の記述である。

形態 成虫の体長は3~5mm。ずんぐりとした小型のハエのような虫。吸血をするのは、アシマダラブユ、アオキツメトゲブユなどの数種類。

繁殖時期 主に5~10月夏期

発生源 灌漑用水や川の岸辺や水中に垂れている植物の葉に産卵

生態・習性 幼虫、さなぎは水質のきれいな河川に生息するため、農村や、渓流、キャンプ場など山間部で多く発生。吸血するのは、蚊と同じでメスのみ。朝夕に活動し、集団で群れをなして襲うこともある。人の皮膚に傷をつけ、流れ出た血液をなめるように吸血する。蚊よりもかゆみがひどく、人によっては赤く腫れあがったり、水疱ができることも…。

「きれいな河川」「川の岸辺や水中に垂れている植物」「朝夕に活動」。うん、知ってる。あっちはうれしいだろう。ハサミのような口で、毛の生えていない脆弱なホモサピエンスの肌を切り裂き、新鮮な血をすすり、鈍重に振り回される彼らの腕を軽々とかわして、何度も何度も繰り返し血をなめる。書いていたらブトになりたくなってきた。楽しそうだ。

蚊やアブだとパチンと叩いて潰したそれらを憎らし気に眺めることもできるが、ブトはそういうわけにはいかない。素早いし小さい。蚊やアブくらいなら片手で払って、たまにヒットするとよろめいてそこを捕まえることもできるが、ブトはヒットしたのかしていないのか、まったく手ごたえがない。夏から秋にかけてあんなに苦しめられるのに、いったいどんな姿をしているのかすらわからないのだ。画像検索して初めて見ることができた。こいつか。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%A6#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Black_Fly.png

そんなに嫌なら虫よけスプレーでもしておけばいいではないかといわれそうだ。確かにその通りなのだが、そしてこう言っても鼻で笑われそうだが、面倒くさいのだ。この時期、田んぼでの作業は多いが、一番ブトにやられるのは、裸足になってする畔塗と田植えである。そしてその時期は合わせても10日ちょっとなので、それくらいなら我慢してやる。逆に、そのくらいなら面倒でも虫よけスプレーするという人もいるだろうが、ここは人によって分かれるところではないか。共生?スプレーしなくてもしても「共生」には違いないだろう。虫のことを思って虫よけをしないのではなくて、面倒だからしないだけなのだ。こっちの都合である。ちなみに東千茅は、うらやましいことに噛まれてもわりと早く腫れが引く体質らしい。しかし上で引用したようにかゆいのには耐え難いのには違いなく、たまに近くに生えているハッカをもんで肌に塗って虫よけにしていることがある。効果はどうかと聞くと、ないよりましとのことだった。

ところで今回の記事を書くにあたって自分の画像フォルダを見返してみたが、ブトの写真はもちろんない。先にも書いたように、小さく、素早く、叩けもしないのでまず撮影できない。上の写真のように噛まれている最中に撮るという手もあるかもしれないが、そんなことは思いつきもしなかった。ブトに噛まれた跡の写真さえなかった。念のため、東千茅にも訊ねてみたがそんなものはないとのことだった。こんなに「親しく」ても、撮影の対象から排除してしまう生き物もいる。そういう生き物はほかにもたくさんいる。

池を掘る

磯田和秀

池を掘るつち式代表東千茅

棚田の一番上、と言ってももう田んぼとしては使っていないところは、水も引いておらず、低い畝があってそこに大豆を撒いたりしている。ただ、ところどころやたらに水がしみてくる。足が沈み込んで歩きにくいし、草も刈りにくい。

それならいっそ、池を掘ってそこに水を誘導するようにした方がいいのではないか、ということで、今年の2月末頃、鍬をふるって池を掘った。掘っただけでこれだけ水が貯まる。ただ、晴れが続くと干上がってしまうので、沢から少しだけ水が引けるようにしておいた。

掘ったのが冬であるし、当初は草も生えず、寒々とした感じだった。しかし気温が上がると草も生えてくる。カエルが憩っている。マツモムシも泳ぐようになった。泥も落ち着いて、池は澄んだ水をたたえるようになった。

最近の池の様子

夏を越え、秋を迎えると、水辺の草に交じって稲まで生えてきた。少し赤みのある白い花はミゾソバ。水のあるところ、湿ったところで、這うようにして茎をのばし、地面も水面も覆いつくしてしまうので、厄介な「雑草」には違いないのだが、私は好きだ。ミゾソバはここだけでなく沢や田んぼの周辺に繁盛しているし、どれだけ熱心に引き抜いてもまた生えてくる。愛しい。腹立たしい。

もう一つ掘った池

その池と沢を挟んで反対側の田んぼ(元)にも、湿っぽい場所があった。夏が過ぎたころ、こちらにも池を、長細いかたちに掘ってみた。最初は水があまり溜まらなかったが、日がたつにつれてかさが増えてきた。この池のすぐ上には枝垂桜があって、落ち葉が水中にたまることになる。積もった落ち葉にさえぎられて草が生えないようになるのか、それとも別のかたちで草が侵入してくるのか。落ち葉はサワガニやカエルやアカハライモリのいい隠れ家になるだろう。近いところに人工的に作った二つの池だが、それぞれがそれぞれの都合でそれらしい姿になっていくのだと思うと楽しみだ。

これらの池は「自然に」できたものではない。実を言うとこの棚田のある斜面自体、人工のものだ。沢の上に土を盛り、棚状に作り上げたものであって、棚田の元の持ち主である森下さんは「沢の上に乗っかっているようなもの」と語っていたそうだ。盛土ごと崩壊する可能性だってなくはない。

そうして人の手で出来上がったものも月日を経るごとに「自然」になっていく。崩壊することも含んだ「自然」である。あちらに穴が開けばふさぎ、こちらに水がたまれば穴を掘り、どうにもならないときは、できることをする。人為と自然(じねん)の反復運動。