柿渋を仕込む

東千茅

去る八月某日、磯田さんと柿渋を仕込んだ。

青柿を収穫
木槌で砕く
水に漬ける

このように、柿渋作りは簡単だ。青柿を採ってきて砕いて水に漬けておくだけである。

最初『農家に教わる暮らし術』で作り方を知ってから、これならできそうだと、大宇陀に来て一、二年目——つまり移住してすぐの、いろいろやりたい時期に作った覚えがある。ところが、移住後三、四年目にもなってくると生活の型ができてきて、柿渋作りはその中から抜け落ちていた。

栽培する野菜の品目についてもそうだ。最初の頃は、好奇心から今より多くの種類の野菜を作ったものだが、その中から特に食べたいものだけを作りつづけ、それ以外の野菜は作らなくなってしまった。

このようにして、いろいろ手を出した事柄の中から、当初の構想にかなうように、これはやるあれはやらないと仕事を選別していった。移住前からわたしは「自分で生きること」を志していたので、三大栄養素(炭水化物、蛋白質、脂質)の自給がなにより優先されたのである。そして文化的にも難易度的にも妥当な稲、大豆、鶏の飼育を本格化していき、その他のことは余裕があればするという程度の心構えになっていった。

柿渋作りは、前述したように簡単だ。けれども、わたしの時間は当然ながら無尽蔵ではない。上記の「三種の自給」が生活の中心を占めるようになると、いきおいそれに付随する仕事から順にこなしていくことになる。柿渋などは簡単なのだから作っておけばよかったと今は思うが、さして重要に思えない仕事は、それがちょっとしたものでも後回しになって結局やらなくなってしまうものだ。

そういえば、一、二年目に作った柿渋はどうしたのだろう。鶏舎の看板に塗ったことははっきり覚えているけれども、あとは何に使ったのかも定かでない。わたしは記憶力が良くないのだが、それにしても不可解なほど全然思い出せない。それだけ重要視していなかったということか。

それが今回再び柿渋を仕込んだのは、ある用途が浮上してきたからだ。くわえて今回は一緒に作業してくれる人がいた。今まではなんとなく先延ばしにしているうちに時機を逸してしまっていたところに、明確な動機が生じたのである。またこれは、「三種の自給」を含みながらそれを超える大きな仕事に着手しようとしていることに関わっている——言い換えれば、わたしがわたし自身だけを育むことに飽き足らなくなってきたことに大きく関わっている。

詳しくは、近日刊行予定(?)の『つち式 二〇二〇』をぜひ読んでみてほしい。

30リットルの樽二つ分を仕込んだ

里山制作団体「つち式」について

東千茅

里山制作団体「つち式」とは何かを、わたし東千茅(あづまちがや)の自己紹介もかねて書いておく。

わが棚田

わたしは二〇一五年に大阪から奈良県宇陀市の大宇陀(おおうだ)という地に移り住んで、米や大豆や鶏卵の自給を開始した。四年目の二〇一八年には、その里山生活の模様をまとめた『つち式 二〇一七』という雑誌を仲間と作って自費出版している。

二〇二〇年現在、わたしの里山生活は五年が経過し、六年目を迎えている。これまでは自分一人でできる範囲のことを進めてきた。だが里山を相手にする以上、一人で為せることには限界があるし、自分の寿命だけでは足りない。そこで、里山制作団体「つち式」を作ることにしたのである。

(「里山保全」ではなく「里山制作」と言うのは、里山はヒトだけが主体となって過去のある時点を再現維持するものではなく、ヒトを含む多種が共に現在進行形で作り続けるものだということを強調したいからだ。)

それにともない、これまで作っていた雑誌『つち式』はその一部門と位置づける。——なにを隠そう、もともと「つち式」は実践団体として構想していたものの、まずは自分の里山生活を建てることが先決と判断し、それが一応体をなした時点でひとまず雑誌制作に舵を切っていたのだった。そして現在、機は十分熟したはずである。

里山生活六年目。順当すぎる流れだ。あるいは慎重すぎただろうか。しかし、里山はヒトの一生の中で捉えるべきものではないし、一生を超える悦びに手を出すにはそれなりの力をつける必要があった。たしかに雑誌『つち式』はわたしを精神的に肥やしてくれたし、わたしは今後も度々寄航するだろう。けれども、雑誌を作ったところで当然里山は微動だにしない。わたしたちの主眼は里山制作という実践である。

つち式は新たな局面に突入したといえる。もっとも、団体といっても当面は任意団体として、将来的な法人化を視野に入れながら活動する。隣同士で田んぼをしている人類学者の磯田和秀さんをはじめ、近隣に住む宮大工や庭師の人たちにも巻き込まれてもらうつもりだ。様々な生物種や物語の生起しうる土壌を育む、雑多な布陣をこしらえたいと思っている。

つち式の活動は、すでに稲作、畠作、養鶏、草刈りと多岐にわたるが、今後これらに杉山を雑木山に育む活動を加えた二百年の里山制作計画「里山二二二〇」を推し進めていく所存だ。里山は様々な仕事によって駆動している。どれが一番重要とはいえず、里山が英雄の登場を許さないように、どれも里山にとって重要である。とはいえ、棚田につづく杉山を雑木山に転換していくことは、この二百年間の中でいうなら際立って重要だと言っていいかもしれない。現状、わが棚田の周りの山は、スギの過剰な植林によって荒廃したプランテーションと化しており、これを多種の息づく里山に作りかえることは焦眉の課題だからだ。

人-間だけの目論見に覆われた土地を、わたしたち多種の手に奪還することは、困難ではあっても決して不可能ではない。

田んぼで増えてきたアカハライモリ

今後このブログでは、つち式の日々の活動を報告していくつもりだ。