磯田和秀
前回まで3回にわたって籾摺り臼の制作の過程をくどいほど書いて疲れたのか、その後すっかり記事を書かなくなった。
しかし、里山制作の活動は進行していた(臼はまだできていない)。
そのいくつかを簡単に。
2月、畑で採れた大豆を使って、味噌づくりをした。川上村で「暮らす宿HANARE」を営むYさんにご指導いただき、10人ほど集まって大豆をつぶして麹と混ぜ、各自壺やタッパーウェアなどの入れ物に入れた。ゆでた大豆は柔らかいのにつぶすのは意外と難しく、するりと手のあいだを抜けてしまう。経験者の話では、ミンチを作る機械が一番うまくいくそうだ。
同じく2月、間伐が間に合っていなかったヒノキ林に、いよいよ手を付け始めた。
伐採は危険な作業なので、慎重に。
切り倒した後、枝をはらい、5メートルほどの長さで玉切りをして、集める。
集めた材は、虫がつかないように早めに皮を剥いてしまう。
この時期につち式を訪ねてきた人は、ヒノキの皮むきをすることになる。この日は、大阪から来た若者が。みんな喜んでやってくれてます。たぶん。
伐採作業は4月に入っても続いた。木を伐るというのはなかなか気持ちを高ぶらせてくれるもので、東はツイッターにこんなことも書いている。
「最近は木を伐ることに取り憑かれており、日が暮れてからも読書はおろかNetflixも観ず、チェーンソー本を読んでいるかYouTubeで伐採やチェーンソー関連の動画を見ている。実は一件4月末までの依頼原稿があるのだが、当然一文字も書いていない。」
これは本当で、最近は私と会っても伐採とチェーンソーの話しかしないし、それ以外の話題を向けてもほとんど反応がない。ジャンキーである。
2月には他にこんなこともしていた。
棚田の上のほうに、物置を設置した。知人が小屋をこぼって不要になった木材を主に使い、屋根には以前入手していたヒノキの皮を使った。
道も補修した。雨が降ると土が流れてしまっていたところに、伐採したヒノキを並べた。
まだある。
もと田んぼだったのが今は広場になっているところがあるが、どこからか水が湧いているらしく、一隅に小さな池がある。その周辺はぬかるみがひどいので、木材を並べて道にしていた。しかしそれも腐ってきていて道の役目を果たせなくなってきたので、今回伐採したヒノキを使って道を作り直した。
前のものよりだいぶ頑丈にできた。
そのあいだも東の伐採中毒はおさまることはなく、先日noteにこんな記事を上げていた。
『つち式』を買おう
「わたしはこれまで、農耕の悦びこそ人間に生まれ堕ちた者の役得だと思っていた。が、伐木も農耕に劣らぬくらい——いや、いまのわたしの気分からすればそれ以上に、人間に喜悦をもたらす行為だと言いたい。いかにも、もはやわたしは伐木中毒なのであり、木を伐っていない人生など人生と呼べるかと、このラリった頭で考えている。」
https://note.com/chgyazm/n/n284066f1f4a4
こんなになってしまっていたが、4月も1週目を過ぎると田んぼに関するあれこれを始めた。本人はそのつもりはないかもしれないが、傍で見てると「正気に返った」ようにも見えて可笑しい。いやそれは正気なのだろうか。狂っているのは俺かそれとも世界か。
それはさておき、里山にかかわっているとこんなに楽しくていいんだろうかと思うくらい楽しい。ご関心のある方は先日の記事にあるように、毎月第2金曜日と第4土曜日に共同作業(出合)の機会を設けていますのでどうぞ。